【プロ野球】長嶋茂雄の家族構成は?伝説や名言もエピソードとともに紹介!

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【プロ野球】長嶋茂雄の家族構成は?伝説や名言もエピソードとともに紹介!

長嶋茂雄といえば、日本プロ野球の歴史を語るうえで欠かすことのできない存在です。「ミスター・プロ野球」「ミスタージャイアンツ」と呼ばれ、読売ジャイアンツで現役時代から監督時代まで過ごしていました。晩年は病と闘いながらも表舞台に姿を出し、野球界を見守っていました。そして、2025年6月3日惜しくも亡くなりましたが、今なお幅広い世代から愛され続けています。

今回は、そんな長嶋茂雄の家族構成や、数々の伝説や名言をエピソードも交えながら紹介していきたいと思います。

目次

長嶋茂雄の家族構成を紹介!

野球界のスターであり、伝説の人物であった長嶋茂雄の家族構成はどんなものだったのでしょうか。妻と結婚後、子供4人に恵まれ、5人家族でした。

では、その妻や子供たちについて長嶋茂雄との関係性も踏まえながら、紹介していきましょう。

妻は長嶋亜希子

妻は長嶋亜希子といい、実業家で長嶋茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めていました。留学経験もある才色兼備な女性で、長嶋茂雄の一目ぼれにより、出会って40日でのスピード結婚でした。結婚後は、裏側で長嶋茂雄を支えていたのです。長嶋茂雄が脳梗塞で倒れてからも、リハビリに付き添うなど献身的に介護をしていました。

自身も膠原病と戦っており、2007年9月長男と会食後、体調不良を訴え、病院搬送され、心不全のため、ご逝去されています。

長男・一茂

長男は、長嶋一茂といい、元プロ野球選手でした。現役時代は、ヤクルト、巨人でプレーしており、引退後の現在はタレントとして活躍しています。野球では、父親である長嶋茂雄の偉大さが故、比較されていました。そのことが重荷だったと後に話しています。タレントとしては、知識もありながら、ユーモアで時に辛辣なコメントを行うところも話題となっています。

また、父親とは一時期連絡を取らなかったり、距離を取っていたそうです。偉大な父だったからこそ、どのように向き合えばよいかわからず、近すぎると壊れてしまう関係だったと後に話しています。

長女・有希

長女は有希といいますが、一般人であり、表舞台に出てくることはありませんでした。長嶋茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの役員を務めていましたが、2010年に解任されています。

次女・三奈

次女の三奈は、スポーツキャスターです。熱闘甲子園のメインキャスターを務めていたこともあり、高校野球取材で知られています。選手に寄り添ったインタビューや、勝敗だけでなく背景や努力を伝える姿勢が高く評価されていました。また、父である長嶋茂雄が脳梗塞で倒れた際には、闘病生活を献身的に支えた存在として注目されていました。

現在は、長嶋茂雄の個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務めています。キャスターとしては、2014年にテレビ朝日との契約は終了し、現在はフリーとして活躍しています。

次男・正興

次男は長嶋正興といい、元レーシングドライバーでした。野球ではなくモータースポーツの世界で活躍していたそうです。引退後は、環境分野に関心を持っており、メディア出演はないものの環境リポーターとして活動しているそうです。

長嶋茂雄のプロ野球選手としての伝説

長嶋茂雄はミスター・プロ野球や、王貞治と並んで大人気の選手でした。その選手時代の伝説エピソードを紹介していきましょう。

衝撃のプロ初試合はノーヒット!

1958年に立教大学から読売ジャイアンツに入団しました。大学時代に六大学野球で優勝したり、首位打者を獲得していたりしたため、期待されており。同年4月5日がプロ初打席でした。当時大投手であった金田正一との対戦で、本塁打が期待されていましたが、全打席連続で三振となりました。その5日後に初本塁打を放っています。

ON砲と巨人V9

長嶋茂雄と同時期に巨人の中心選手として活躍していた王貞治とのコンビを『ON砲』と言われていました。当時、巨人の3番4番で活躍しており、1963年に巨人優勝の原動力となったことから名づけられました。そんな二人の活躍は記録のあるものとなり、1965年から1973年まで巨人を優勝に導き、伝説のV9となったのです。また、アベック本塁打数106本は史上最高となっています。

長嶋茂雄の名言

長嶋茂雄といえば、数々の名言を聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。

その名言やエピソードを紹介していきたいと思います。

引退時の名言

長嶋茂雄と言えば、現役引退時の言葉が有名で、現在でも伝説の名言として引き継がれています。1974年の引退セレモニーにて、『我が巨人軍は永久に不滅です』といい、この言葉は、日本スポーツ史に残る名言であると言われています。

選手としては終わりであるが、巨人軍への永遠の愛があることを表現した象徴的な一言だといえるでしょう。

監督時代の名言

長嶋茂雄は選手としてだけでなく、監督としても野球ファンから愛されていました。その理由として、多くの人を魅了する言葉があったのです。「失敗は成功のマザー」と話していました。若手選手を育てる上で報道陣などに言った言葉でもあります。この言葉には、失敗したことを責めるのではなく、その失敗から可能性が出てくるのだという意味も含まれていました。

また、1996年巨人は11.5ゲーム差を大逆転し、優勝した際には「メークドラマ」という言葉を生み出し、流行語となりました。しかし、この言葉には、ただ単なる逆転劇ではなく、信じれば奇跡は起きるという意味が込められていたのです。このような人間味溢れる言葉が、長嶋茂雄の人柄だったのかもしれませんね。

まとめ

今回は、長嶋茂雄の家族構成とこれまでの伝説や名言を紹介してきました。長嶋茂雄は、子供4人と奥様の5人家族であり、家族に支えられ生涯を過ごしてきたことがわかりました。また、現役時代から監督時代まで、数々の伝説や名言がありました。長嶋茂雄のユーモアで熱い人柄から生まれる言葉だったからこそ、人々に伝わり、愛されてきたのかもしてませんね。

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