進化を続ける男子バレー代表の司令塔!関田誠大選手のプロフィール

2022年8月26日からポーランドとスロベニアで開催された「バレーボール男子世界選手権」。日本代表チームは、予選ラウンドで2勝、決勝トーナメントでは東京オリンピック2020で優勝したフランスにフルセットの末に惜しくも敗れ、ベスト16という結果となりました。

ずっと低迷が続いていた男子バレーボールですが、東京オリンピック2020の前後から躍進を続けていますよね!その理由の一つとして、世界で活躍する選手たちの存在が挙げられるのではないでしょうか。

ポーランドでのプレー経験がある関田誠大選手は司令塔として、石川祐希選手は大学卒業後からイタリアのクラブチームでプレーし、現在は日本代表の大黒柱に成長しています。他にも海外経験のある選手はいますが、今の日本代表チームを牽引しているのはこの2人だと思います。

そこで今回は、バレーボール男子日本代表司令塔の関田誠大選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。

関田誠大(せきた まさひろ)選手のプロフィール

  • 生年月日:1993年11月20日
  • 年齢:28歳
  • 出身地:東京都江東区
  • 身長:175cm
  • 体重:71kg
  • 血液型:B型
  • 所属:ジェイテクトSTINGS
  • ポジション:セッター

関田誠大(せきた まさひろ)選手の経歴

東金町ビーバーズ時代

小学1年生の時に4学年上の姉・優恵さんの影響で、小学生バレーの強豪である東金町ビーバーズでバレーボールを始めます。

当時は、バレーボール以外にスイミングスクールにも通っていましたが、4年生になる前に両親からどちらか選ぶよう言われバレーボールを選びました。始めた当初はレシーバー、5年生でセッター、6年生ではアタッカーと全てのポジションを経験。

東金町ビーバーズの練習は週6日、練習も大変厳しく、楽しいというものではありませんでしたが、目標としていた全国制覇も果たし、中学バレー強豪校の駿台学園に進学します。

駿台学園中学校時代

駿台学園で練習の厳しさ以上に戸惑ったのは、先輩・後輩という上下関係。厳しい練習は勝利に繋がるが、名前に「さん」付けしたり、敬語を使わなくてはならないことにギャップを感じたと言います。

中学時代はレシーブが好きで、中学2年生の時にはリベロも務めました。セッターに転向したのは中学3年生からで、駿台学園中学校でも全国制覇を成し遂げました。

東洋高等学校時代

そのまま駿台学園高等学校に上がる気がなかった関田誠大選手は、東洋か東亜学園への進学を考えていました。

最終的に東洋を選んだのは、1学年上の元日本代表・柳田将洋選手に誘われたから。柳田将洋選手とは母親同士が知り合いだったこともあり、小学生の頃から繋がりがあったと言います。柳田将洋選手はご両親の影響でバレーボールを始めたので、おそらく関田誠大選手の母親もバレーボール経験者であることが予想できます。姉・優恵さんもバレーボール強豪校である共栄学園を卒業しているようですので、関田誠大選手のご家族はバレーボール一家なのかもしれません。

高校時代は、1年生からレギュラーセッターで、1年生の時に出場した2010年3月の春高バレーでは、柳田将洋選手らと共に同校を初優勝に導きました。しかし、高校2年生の春高バレーは3位、高校3年生の時も1年間タイトル無しで心残りのある高校時代となりました。

中央大学時代

体育の教員になりたいわけではなかったので、体育系の大学ではなく総合大学への進学を希望します。その中で、日本一を目指せる大学として中央大学を選びました。

入学間もなくからレギュラーセッターとして試合に出場。大学1年生と4年生とでは3歳離れているため、コミュニケーションの取り方が難しかったものの、コート内では割り切って積極的に話すように心がけたと関田誠大選手は語っています。

また、これまでほとんどやることのなかったウェイトトレーニングにも取り組み、体が変わったことでプレーの幅も広がりました。

大学4年生時には主将も務め、2学年下の現日本代表キャプテンの石川祐希選手らと共に大学タイトルを総なめにしました。

パナソニック・パンサーズ時代(2015年~2018年)

2016年より日本代表メンバーにも選出され、リオデジャネイロオリンピック男子世界最終予選兼アジア予選メンバーとして、最後の2試合でスタメン出場を果たします。

2017-2018年シーズンには3冠(天皇杯・Vリーグ・黒鷲旗)にも貢献し、2018年の世界選手権にも出場しました。

堺ブレイザーズ時代(2018年~2021年)

パナソニック・パンサーズでは、控え選手だった関田誠大選手。試合に出たい一心で移籍を決意。移籍後1年目から、念願の正セッターとなりました。

2019年のワールドカップでは多くの試合でスタメン出場し、チームは4位に躍進。2021年の東京オリンピックでは、日本のベスト8入りに大きく貢献しました。

クプルム・ルビン時代 (2021~2022年)

東京オリンピック終了後に堺ブレイザーズを退団し、ポーランド1部リーグである、クプルム・ルビンに移籍します。スタメンで出場する機会も多く、献身的なプレーでチームメイトの信頼を得ていました。

関田誠大(せきた まさひろ)選手が所属!ジェイテクトSTINGSについて

2022年6月1日より、関田誠大選手はジェイテクトSTINGSに所属しています。また、日本代表の西田有志選手も同時に入団しました。

  • 所属リーグ:LEAGUE DIVISION1
  • 創設年:1958年
  • チーム所在地:愛知県刈谷市朝日町1-1
  • 体育館所在地:愛知県刈谷市新富町2-52
  • 運営:株式会社ジェイテクト

1958年に旧豊田工機バレーボール部(9人制チーム)として創部。後に6人制に移行します。

1996年、地域リーグへの参戦をきっかけにチームの改革を図り、2022年には準優勝を果たし、V1リーグ(現V.LEAGUE DIVISION2)へ昇格しました。

2006年、旧光洋精工との合併により、社名が株式会社ジェイテクトに変更され、それに伴いチーム名も「ジェイテクトSTINGS」となります。同年、東京オリンピック2020で男子日本代表の監督も務めた中垣内祐一さんと同時期に活躍した、元日本代表の泉川正幸さんがコーチ兼選手として入社。2シーズン連続で3位に入ると、2009-2010年シーズンでリーグ初制覇を飾ります。

そして2013年にV・プレミアリーグ(現V.LEAGUE DIVISION1)へ昇格すると、同年の天皇杯では準優勝、2016年の黒鷲旗でも準優勝と着実にチームはレベルを上げていきます。

2019-2020年シーズンでは、V.LEAGUE DIVISION1 MENで悲願の初優勝を果たし、その翌年のシーズンでは天皇杯でも初優勝をつかみました。

2022年8月26日~9月11日の日程で開催された2022年バレーボール男子世界選手権では、日本代表メンバー14人中3人、西田有志選手、関田誠大選手、村山豪選手がジェイテクトSTINGS所属の選手となります。

まとめ

今回は、バレーボール男子日本代表の正セッターである関田誠大選手のプロフィールや経歴についてまとめてみました。2年後に開催されるパリオリンピックでは、30歳になる関田誠大選手がチームの主力選手として再びオリンピックの舞台で戦う可能性は大いにあります。石川祐希選手や西田有志選手らと共に、日本男子バレーボールの全盛期と言われる新たな時代を築いてほしいものです。関田誠大選手の今後の活躍を期待しています!

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