【男子200mバタフライ】本多灯の実家は病院?家族構成や生い立ちを紹介!

【男子200mバタフライ】本多灯の実家は病院?家族構成や生い立ちを紹介!

東京五輪で銀メダル獲得し、パリ五輪にも出場した本多灯。そんな本多灯の実家が病院で裕福なのではないかと話題になっています。その噂の真相を調査し、家族構成や生い立ちを紹介していきたいと思います。

目次

本多灯の実家は病院って本当?

本多灯の実家は横浜市であり、病院ではないです。しかし、本多灯の父親が開業医であり、本多産婦人科・内科医院を経営しています。そのため、実家が病院だとの噂が出たのだと思います。医院は、大和市にあるため、実家ではないでしょう。また、本多産婦人科・内科医院は1974年に開院しており、2011年に本多灯の父親である本多正光が継承しました。幼稚園から大学まで大和市で生活しており、大学病院や公立病院勤務後、大和市に戻ってきたそうです。そのことから、本多灯の父親の実家が医院だったのかもしれませんね。

本多灯の家族構成を紹介

本多灯の家族構成は、父親、母親、兄2人の5人家族です。では、五輪選手を育てた家族はどのような家族なのでしょうか。職業やエピソードなどを紹介していきたいと思います。

本多灯の父親

本多灯の父親は上記で述べたように開業医です。父親が医者であることから、医学的知識によるアドバイスはトレーニングや健康管理において重要だったようです。水泳への直接的な指導でなくても、別分野からのアドバイスは、トップアスリートにとって、五輪への道になったのかもしれませんね。

本多灯の母親

本多灯の母親は、聡子酸という名前であることが、過去のインタビューなどから分かっています。元看護師なのではないかとの噂もありますが、詳細は不明です。幼少期より、水泳の送迎などをしていたことから専業主婦なのではないかとも言われています。そんな母親は、本多灯のすべてを見てきているため、東京五輪で銀メダルを獲得したときは、「ホッとしています。嬉しいです。泣くつもりないって決めていたんですが・お恥ずかしいですけど込み上げてきちゃって。今まで全部見てきているんで、ちょっと溢れちゃいました。」と涙を流しました。本多灯が支えてきてくれた家族に感謝したいというほど、調子が悪い時も母親はサポートしてくれていたのでしょう。

本多灯の兄弟

本多灯には2人の兄がいて、3人兄弟の末っ子です。現在何しているのか、年齢などの詳細は公表されていないため、分かりませんでした。しかし、兄の影響で水泳を始めたころから、現在の功績があるのも兄2人のおかげかもしれませんね。

本田灯の生い立ち

本多灯は、2歳の時に水泳を習う兄と一緒にプールに行き、母親が目を離したすきに飛び込んだりするなど、水大好きっ子だったそうです。そのため、3歳から大和スイミングクラブで水泳を始め、卒園アルバムには「プールの選手になる」と宣言していました。5歳からは、アリーナつきみ野スポーツクラブで練習をしています。中学は、鶴見大学付属中学校に進学しましたが、アリーナつきみ野スポーツクラブで指導を受けていました。中学頃から、200mバタフライに取り込むようになり、中学3年生の時の全国中学競技大会では、400m自由形と200mバタフライで2位入賞となったのです。その後、水泳の強豪である日本大学藤沢高校に進学しました。

本田灯の経歴

高校一年生の時には、国体に出場し、400m自由形で優勝、100mバタフライで準優勝を果たします。高校3年生の時には、インターハイで総合優勝、世界ジュニア選手権200mバタフライで準優勝しました。高校卒業後は、日本大学に進学し、水泳部に所属します。大学1年生時には、日本学生選手権水泳競技大会男子400m個人メドレーで優勝、日本選手権200mバタフライで初優勝しました。2021年のジャパンオープン200mバタフライで優勝、日本選手権でも優勝し、東京五輪出場となったのです。東京五輪では銀メダル獲得となりました。2024年の世界水泳選手権では、男子200mバタフライでは初の金メダルを獲得しました。その後、パリ五輪へ出場し、予選敗退でしたが、今後の活躍にも期待されています。

まとめ

今回は、本田灯の実家の噂や家族構成、生い立ちについて紹介しました。父親は開業医であり、裕福な仮定の元、水泳に幼少期より取り組み、家族の支えや努力の結果もあり、2度の五輪への出場を果たしたことが分かりました。パリ五輪では、思うような結果が残せませんでしたが、今後の活躍にも期待していきたいと思います。

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