パリ五輪10000mに出場した太田智樹。五輪では故障明けでもあったことから、順位は24位と振るいませんでしたが、ニューイヤー駅伝では3区でトップに出るなど活躍し、今後も注目されています。そんな太田智樹の経歴やオリンピックまでの軌跡が話題となっています。今回は、太田智樹の経歴を紹介していきたいと思います。
太田智樹の経歴を紹介!
太田智樹は、どのようにして、五輪出場となったのでしょうか。まずは太田智樹のプロフィールを紹介したいと思います。
太田智樹のプロフィール
- 名前:太田智樹
- 生年月日:1997年10月17日生まれ
- 年齢:27歳(2025年1月現在)
- 出身地:静岡県浜松市
- 出身校:浜松日体高等学校、早稲田大学
- 身長:175㎝
- 体重:58㎏
- 所属:トヨタ自動車陸上長距離部
- 専門:長距離
- 趣味:野球を見る(千葉ロッテ)
- 試合前のゲン担ぎ:身の回りの整理整頓
太田智樹は、静岡県出身の長距離の陸上選手です。千葉ロッテファンであり、趣味は千葉ロッテの野球を見ること。また、試合前には身の回りの整理整頓をすることが、ゲン担ぎとなっており、生活もしっかりとしている人物なのかもしれませんね。
太田智樹の学生時代の経歴を紹介!
太田智樹は、浜名中学校時代に陸上部に入部し、陸上を始めました。そして、中学3年生の時に、全日本中学校陸上競技選手権大会において3000mで優勝します。ジュニアオリンピックでも3000mで大会新記録を樹立し、優勝。その後、浜松日体高等学校に入学します。高校1年生の時には、3000mで国体に出場し、結果は5位。その後はなかなか目立つ活躍がありませんでした。都大路にも3年間で一度も出場できなかったのです。しかし、高校2年生の時には、高校選抜10000mで優勝し、静岡県駅伝では1区で区間賞、都道府県対抗駅伝でも1区4位と好成績を残します。高校3年生の時には、インターハイ5000mで6位入賞、日本人トップの成績でした。高校選抜でも優勝し、2連覇を果たします。高校卒業後は、早稲田大学に入学し、箱根駅伝には在学中の4年間すべて出走し、2年生からは、エースが集まる花の2区を走ったのです。
太田智樹のトヨタ自動車後から五輪までの軌跡!
早稲田大学卒業後、トヨタ自動車陸上長距離部に所属しました。1年目は、ニューイヤー駅伝のメンバー入りもできませんでしたが、2年目からはメンバー入りしました。そして、区間賞を獲得できるようになったのです。3年目には、故障明けの日本選手権でも10000mで5位となります。その後の、丸亀国際ハーフマラソンでは、1時間00分08秒で日本歴代2位の記録を樹立します。2023年10月の世界ハーフマラソン選手権では、日本代表として出場し、12位となりました。12月の日本選手権では、2位となり、翌年の日本選手権でも2回連続2位となったのです。初優勝を飾ることは出来ませんでしたが、パリ五輪の10000mワールドランキングの出場権内に入っていたため、パリ五輪出場となりました。
五輪への影響となった人は?
2023年に入社した、田澤廉の影響も大きかったようです。田澤廉は、世界選手権に出場するほどの実力もありました。そのため、太田智樹は、「僕よりも力も経験もある。一緒に練習することで自分にとってプラスになった。練習で以前と同じタイムでも楽に走れるし、強度を上げられることもある。すごいモチベーションになっている」と語っていました。
まとめ
太田智樹の経歴、パリ五輪までの軌跡を紹介しました。太田智樹は中学時代から実力を発揮しており、高校でも記録を残していました。大学時代にも駅伝に出場し、エースとして活躍。トヨタ自動車に入社してからは、故障することもありましたが、2,3年目より記録を残すことができ、パリ五輪の切符を掴んだことが分かりました。パリ五輪で結果は残せませんでしたが、次の五輪も目標としており、今後の活躍にも期待していきたいですね。