【マラソン】増田明美の夫は誰?現在は何している?馴れ初めも紹介!

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【マラソン】増田明美の夫は誰?現在は何している?馴れ初めも紹介!

1984年のロス五輪にマラソン日本代表として出場し、長距離走の第一人者として有名な増田明美。最近では、特徴的な解説をする人として有名となっています。そんな増田明美の夫はどのような人物で、どのような馴れ初めで結婚まで至ったのでしょうか。また、増田明美の現在についても紹介していきたいと思います。

目次

増田明美の夫は誰?

増田明美の夫は、ファイナンシャルプランナーで秘書の木脇祐二さんです。元々は保険会社や証券会社でファイナンシャルプランナーとして働いていました。経歴からの金融に関する知識を生かして、著書の発行やコラムなど記載していたこともあります。

現在は、増田明美のマネージャーとして働きながらも「個人客の財政顧問」との肩書もあり、ファイナンシャルプランナーとしても働いているようです。現在は、嵐の二宮和也の個人会社「オフィスにの」の代表取締役に就任しています。経理や総務などのオフィス業務にかかわることを担当しているそうです。

夫との馴れ初め

増田明美と夫の木脇祐二さんの馴れ初めのきっかけは、サンプラザ中野くんだったそうです。増田明美は、引退後、サンプラザ中野くんと『走る塾』という著書を共同で出版しました。その著書の出版イベントが2004年8月に行われ、その食事会で木脇祐二さんと出会ったのです。木脇祐二さんは、学生時代からサンプラザ中野くんのファンで、アマチュアバンドをやっていたりしており、学生時代にサンプラザ中野くんと知り合ったそうです。そして、そのイベントの食事会に中野くんが招待したことにより、増田明美と出会うことになりました。

出逢いから初デート

イベント当日、増田明美は、高校の後輩である室伏広治のアテネ五輪金メダル祝勝会と重なったため、遅れて参加してきたのです。祝勝会でお酒を飲んでいたことから、酔っぱらった状態でイベントにきたとのこと。

木脇祐二さんは、元々マラソンが趣味で増田明美の名前は知っており、話した時に明るい人だと思ったそうです。一方、増田明美も木脇祐二さんのことを話しやすい人だと思ったようです。食事会が終わるころに中野くんに連絡先交換を勧められたのをきっかけに、連絡を取り合うようになりました。その後、2004年の11月に初めてドライブデートをしました。そのデートが、渋滞で、ずっと車の中にいることになったそうです。しかし、それがお互いに心地よく、交際に至ったのです。

プロポーズから結婚

クリスマス前の東京ディズニーシーでプロポーズをしたそうです。シーにあるアラビアコート付近の橋の上でプロポーズをしたのですが、指輪もなかったといいます。その後、結婚指輪を銀座のミキモトで購入したそうですが、木脇祐二さんは母親にシンプルすぎると怒られたのです。形だけの指輪という感じだったと増田明美も言っています。増田明美の代官山の自宅に転がり込むように一緒に住むようになったのです。交際から結婚までは4か月と早期結婚だったそうです。

現在の夫婦関係

結婚後、木脇祐二さんは副業として著書を出版していたことが会社にバレ、会社を退職してしまいました。当時、増田明美も事務所を閉じようとしていたところであり、夫である木脇祐二さんにサポートしてもらおうとなったのです。そのため、現在、木脇祐二さんは増田明美のマネージャー兼秘書としてサポートしているのです。

仕事でもプライベートでも一緒にいることが多い二人は、「オシドリ夫婦」と言われています。その証として、木脇祐二さんは趣味であるマラソンに出場する際、「増田明美の夫」というゼッケンをつけて走っているのです。

増田明美は現在何している?

増田明美は、1992年に現役を引退し、現在はスポーツライターや解説者、タレントとして活動しています。自身の現役時代のレース中継で、競技者という視点でしか解説されず、寂しく思っていたという経験があったようです。そのことから、現在解説者として、選手や監督の想い、趣味や家族関係など選手のプライベートの話題にも多く触れています。

この解説においては、細かすぎる、どこから情報を得ているのかなどの否定的な意見もあれば、面白い、見ていて楽しいなど肯定的な意見もあり、賛否両論があるのです。その他にも、ランニング指導やテレビ番組のナレーションを務めるなどの活動をしています。

経歴を紹介!

中学時代にテニス部と掛け持ちで陸上を始め、三年生の時に800mで全国4位となりました。そのことをきっかけに、成田高校の陸上部の監督からスカウトされ、成田高校に進学しました。高校3年生の時には、3000m、5000mで日本新記録、アジア陸上競技選手権大会3000mで優勝をするなど好記録を残します。

1982年に18歳となり、当時のマラソン資格が認められ、初マラソンに出場しました。1983年のアメリカのマラソンで、日本最高記録であり、当時の世界ジュニア記録を樹立します。1984年のロス五輪に出場を果たしますが、途中棄権に終わります。その後、陸上競技から離れるため、大学に進学し、教員を目指すようになります。しかし、もう一度思いっきり走りたいとの思いが出てきたため、アメリカに3年ほど留学し、陸上を再開しました。留学中は、競技人生の中で一番充実していたと、後に増田明美は話しています。

現役晩年は、怪我や闘志喪失もあり、記録には及ばず、1992年に現役を引退。増田明美自身も認めていますが、現役時代はメンタルが弱く、「負けん気があっても芯の強さが弱い」ランナーだったそうです。そのため、途中棄権も多くあったようです。

まとめ

今回は、増田明美の夫との馴れ初めや、増田明美の現在について紹介しました。増田明美の夫は、木脇祐二さんであり、ファイナンシャルプランナーで現在は、増田明美のマネージャーをしていることが分かりました。

公私ともに長く一緒に生活し、結婚20年以上たった現在でも、仲が良く、オシドリ夫婦といわれています。また、増田明美は現在、解説者やタレントとして活動しています。解説者としては、今までにはない解説として、話題になっているのです。今後の活躍も楽しみにしていきたいと思います。

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