【フィギュア】プロ転向を発表した羽生結弦の「キセキ」を振り返り!

2022年7月19日、プロ転向を表明した羽生結弦さん。様々な大会で多くの記録を残し、世界中のファンの記憶に残る感動シーンを見せてくれました。

記者会見を開いた時は「引退」ではと騒がれもしましたが、競技大会への参加はないもののプロとしてフィギュアスケートをこれからも続けていくと聞き、安堵したファンも多いのではないでしょうか。

この記事では、プロ転向を発表した羽生結弦さんが魅せてくれた、今までの「キセキ」を振り返ってみようと思います。

羽生結弦がスケートと出会った「キセキ」

羽生結弦さんの「キセキ」を振り返る上で、フィギュアスケートに羽生結弦さんが出会ったことが、まず初めの「キセキ」ではないでしょうか。

羽生結弦さんがスケートに出会ったのは、1999年羽生結弦さん4歳のとき。お姉さんがコナミスポーツクラブ泉のリンク(現:アイスリンク仙台)で行われていた子供スケート教室に通っており、その影響で始めました。実は2歳の頃から喘息の持病があり、スケートを始めた当初の目的の一つは、喘息を克服することだったそうです。

小学生の頃は、練習がハードで友たちと遊びたい盛りということもあり、スケートが嫌いになり、野球をやりたいと言い出したこともあったそうです。しかし、「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、そして10歳の時フィンランドで開催された大会で優勝を果たし、国際大会で初の金メダルを獲得しました。

幼少期のスケートとの出会いと羽生結弦さんの意志の強さが、この先の沢山の「キセキ」につながっていったんですね。

選手時代に残した輝かしい「キセキ」

1.2017年 歴代最高得点を更新「ヘルシンキの奇跡」

2017年フィンランド・ヘルシンキで開催された世界選手権。ショートプログラム5位と出遅れてしまった羽生さんでしたが、フリーでは4回転サルコー、3回転トウループの連続ジャンプを今季初めて成功。全てのジャンプを成功させる圧巻のノーミス演技で、自身が持つフリー歴代最高得点を更新し、223.20点を叩きだしました。史上初となる5位からの逆転優勝しを成し遂げた「ヘルシンキの奇跡」は今もなおファンの間で語られる話題の一つです。

2.オリンピック2大会連続の金

2014年ロシアで開催されたソチオリンピックで、アジア人初となる冬季オリンピックで金メダルを獲得。その4年後に開催された平昌オリンピックで再び金メダルを獲得したことで、オリンピック史上66年振りの連覇という記録を残しました。この時フリーで演じた「SEIMEI」は、最も伝説的なプログラムではないでしょうか。

3.史上最年少の国民栄誉賞

右足首のケガを乗り越え、オリンピック2連覇を成し遂げた羽生結弦さんへ、国民栄誉賞が贈られました。23歳6ヶ月25日での受賞は個人最年少受賞となり、またもや歴史に名を残すこととなりました。

ちなみに、国民栄誉賞の記念品は希望の品をもらえるそうですが、羽生結弦さんは「みなさまと共にとれた賞という気持ちがあり、僕個人の気持ちをだしたくない」という理由で記念品を辞退されました。辞退の理由が、なんとも羽生結弦さんらしいですよね。応援し支えてくれた方々への感謝の気持ちも伝わってきます。

4.クワッドアクセルへの挑戦

記憶にも新しい2022年の北京オリンピックで、羽生結弦さん悲願のクワッドアクセルが国際スケート連盟公認の大会で初めて認定されました。転倒してしまい、その結果回転不足とはなったものの、初認定という新たな記録をフィギュアスケート界の歴史に刻みました。

プロ転向後に開設した羽生結弦さんのYouTubeチャンネルでは、クワッドアクセル成功への挑戦する姿を披露し、プロとなっても挑戦する姿はまだ健在で、スケートへ込めるプロ魂が感じられました。いつの日か、クワッドアクセルの成功を成し遂げてくれそですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか、この記事ではプロ転向を発表した羽生結弦の「キセキ」についてまとめてみました。

プロ転向の発表で、多くのファンは羽生結弦さんの今後を応援しており、ツイッターでは世界中のファンから応援のメッセージが溢れているようです。

プロとして、また新たにフィギュアスケート界に歴史を刻んでくれることでしょう。

これからの活躍も応援したいと思います。

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