2022年に世界バレーで40年ぶりにブラジルから勝利をし、ベスト8入りしたバレーボール女子日本代表。最終順位は獲得セット数などから「5位」に輝きました。主将の古賀紗理那選手が3戦目のブラジル戦で負傷する緊急事態の中、存在感を放ったのが6年ぶりに代表に選出された、宮部藍梨選手です。重要な局面でスパイクとブロックを決めて勝利に貢献しました。そこで今回は大勢のファンに期待されている宮部藍梨選手に着目し、彼女の両親に関する情報やプロフィールなどをまとめていきます!
宮部藍梨の両親や兄弟など家族構成は?
2026年4月時点(現在)判明している宮部藍梨選手の家族は両親と妹の3人です。ナイジェリア出身の父親キングスリーさんと、日本人の母親たまみさんは一般人のため、職業や年齢などの詳しい情報が公表されていません。ただ宮部藍梨選手が一流アスリートになるまでの道のりを支え、彼女の夢の実現を誰よりも応援してきたことは事実でしょう。宮部藍梨選手が高校卒業後の留学を周囲に反対された際には、母親が「やってみればいい」「失敗してもそれが経験になる」と言って後押ししたそうです。
宮部藍梨の妹
出典元:【公式】TBSスポーツ
3つ年下の妹である愛芽世選手はセミプロバレーボールリーグに所属するバレーボールチーム「大阪マーヴェラス」の副主将です。姉の宮部藍梨選手と同じく中学校時代から高い身体能力を発揮し、バレーボール選手としての頭角を現していました。そんな愛芽世選手の武器は最高到達点が303センチにおよぶ跳躍力をいかしたサーブとスパイクです。「攻撃こそ最大の防御なり」ということわざを体現し、チームを牽引しています。宮部藍梨選手の両親はアスリートではないものの、素晴らしい遺伝子が子供たちに受け継がれているのではないでしょうか。
宮部藍梨のプロフィールと生い立ち
ここからは女子バレー 日本代表の宮部藍梨選手について、プロフィールと生い立ちをご紹介していきます。
- 生年月日:1998年7月29日
- 出身地:兵庫県尼崎市出身
- 身長:181センチ
- ポジション:オポジット
小学校時代
宮部藍梨選手は「基本そこまでスポーツをしたくない」と語っており、バレーボールを自ら始めたわけではありません。小学3年生の時に人数が不足していたバレーボールチームに助っ人を頼まれて、バレーボールを始めました。しかしバレーボールを続ける意志はなく、辞めるつもりでした。ところが自分がチームを抜けてしまうと試合に出場できなくなるうえに、勧誘した友達が同じにチームに入ってプレイしていたため、辞めることに失敗。申し訳ない気持ちからバレーボールを続けていたのですが、練習を通じて着実に成長していきました。
中学校時代
小学校卒業後は中高一貫校の私立金蘭会高等学校・中学校に進学。創部7年目の同校バレーボール部に入りました。中学3年生の時には全国都道府県対抗中学バレーボール大会で最も将来有望な選手に与えられる「JOC・JVAカップ」を受賞。この時から将来を期待されていましたが、高校進学後もバレーボールを続けたいとは思っていませんでした。けれども高校1年生の時に東京五輪を見据えた日本協会の集中強化対象「Team CORE」に選出され、同年代のトップ選手との交流を通じて意識が変化したようです。
高校時代
高校1年生の秋にはアジアユースバレーボール選手権でMVPを獲得。チームの優勝に大きく貢献しました。さらに全日本高校選手権に1年生ながらエースとして出場すると、決勝で同じ大阪代表の大阪国際滝井高校と対戦。両チーム最多の24得点を挙げ、金蘭会高等学校バレーボール部を初優勝に導きました。 高校2年生の春には、高校生でただ一人全日本メンバーに選出され、国際大会に出場する権利を獲得。ワールドグランプリのイタリア戦で国際大会デビューを果たし、18得点を挙げました。
挫折を経験
日本代表として活躍していたものの、高校のバレーボール部の過酷な練習に参加しないままチームメイトと一緒に試合に出場する自身の状況に違和感を抱いていました。さらに自分の実力と周囲の評価のずれに苦しみ、まったくバレーボールを楽しいと思えませんでした。加えて相次ぐ負傷と腰痛に悩まされ、高校3年生の時には本来の持ち味を出せずにいました。三連覇を目指していたインターハイは惜しくも準優勝。高校生活最後の大会となった全日本高校選手権では直前の負傷によって準決勝に参加できず、ベスト4に終わりました。
神戸親和女子大学からアメリカ武者修行へ
高校卒業後は神戸親和女子大学に進学しましたが、19歳の時にアメリカの2年制大学であるサウスアイダホ大学に留学しました。「しっかり勉強もしたくてバレーも高いレベルでしたい」「誰も自分を知らない環境で色々なことを学び将来の選択肢を広げたい」そのような思いから留学を決意したそうです。とはいえ英語が堪能ではなかったために、必修科目と選択科目を取るだけでなく、それぞれの授業の英語を学ばなければならず、毎日ハードでした。授業終了後にはバレーボール部の練習に参加して、大量の課題と予習もこなしていました。
逆境を乗り越えて成長
留学先のバレーボール部は、宮部藍梨選手が日本で経験してきた環境とはまったく異なりました。まず大半のチームメイトが宮部藍梨選手よりも身長が高く、日本で活躍していた時のように高さをいかした得点力が通用しませんでした。そのため試合に出場できるチャンスは選手交代の時のみで、ボールが自分のところに回っていないことも頻繁にありました。見ず知らずの土地で精神的にもかなり追い詰められていたのではないでしょうか。ところが逆境の最中で何事も貪欲に取り組む覚悟を決め、出場のチャンスをつかんでいきました。
4年制大学に編入
大学2年時には、NJCAAディヴィジョンI全米選手権決勝で最多23得点、サービスエース2本を決め優勝に貢献。AVCAが制定する、2年制大学部門の女子年間優秀選手に選ばれました。その後、2019年に4年制のミネソタ大学に編入。かつてアメリカ代表の監督を務めていた名将ヒュー・マッカーチョンさんが率いる名門バレーボール部に所属し、さらに力をつけました。
ヴィクトリーナ姫路へ加入
アメリカでの武者修行を続ける中でバレーボールに対する情熱や貪欲さが日に日に強まっていたものの、大学4年時には試合にほとんど出場していませんでした。そのためバレーボールを辞めるための準備を進めていました。しかし女子バレー 日本代表チームで故障やトラブルが相次いだために、2022年に約6年ぶりに日本代表に復帰。同年6月には、Vリーグの「ヴィクトリーナ姫路」への加入が発表されました。
世界バレー2022で躍動!真鍋政義監督からも高い評価
出典元:【公式】TBSスポーツ
女子バレー 日本代表に復帰した2022年は、海外遠征でMB(ミドルブロッカー)としての適性を見いだされ、世界選手権出場メンバー14人に抜擢。ブロックでは「相手コートの中に、どれだけ自分の手を残せるか」を意識し、ワンタッチを取ることで、味方のコンビ攻撃につなげる役割を果たしました。真鍋政義監督も「宮部が入るだけでかなりディフェンスしやすい」と高く評価。チームの勝利のため、与えられた持ち場で持てる力を発揮する技術もそうですが、精神力の強さも目を見張るものがありました。
最近の活躍
出典元:【公式】TBSスポーツ
2023年は「ヴィクトリーナ姫路」がV2リーグに降格し、苦しい時期でした。その悔しさをバネに宮部藍梨選手はチームメイトと共に切磋琢磨し、翌年のシーズンで完全優勝を成し遂げて「ヴィクトリーナ姫路」のSVリーグへの昇格を実現させました。その後も快進撃を続け、2024年12月にはSVリーグ皇后杯で悲願の初優勝。レギュラーシーズン後に上位6チームのみで№1を決めるチャンピオンシップにも出場しました。2025年のシーズンから宮部藍梨選手はオポジットとして登録されており、プレイヤーとしての可能性を今まで以上に広げていくはずです。
まとめ
女子バレー 日本代表に高校2年生で初選出され、その後アメリカで研鑽を積んできた宮部藍梨選手。世界バレー2022では、普段と異なるポジションを任されながら真鍋政義監督からも非常に高い評価を受ける活躍を見せました。2023年頃から男子バレー選手がアイドル的な人気をほこっているため、宮部藍梨選手をはじめとする女子バレー選手の注目度も今後ますます高まっていくのではないでしょうか。









