室伏広治さんと言えば、ハンマー投げで五輪金メダルを獲得したり、数々の記録を成し遂げたりと多くの伝説を残したと言われています。では、どのような伝説を残したのでしょうか。経歴とともにその伝説と現在の活動まで幅広く紹介します。
超人室伏広治の伝説7選!
そんな日本が誇る陸上界のレジェンド、室伏広治さん。オリンピック金メダリストとして活躍した室伏広治さんには、伝説と呼ばれるようなエピソードが多数存在します。ただのアスリートではないその驚異の肉体能力と記録の数々は、まさに「超人」の名にふさわしいといえるでしょう。ここでは、超人と呼ばれる室伏広治さんの伝説を7つ紹介します。
出典:関根勤切り抜き隊
1.前人未踏の20連覇
室伏広治といえば、まず語られるのがこの20連覇記録です。1995年から2014年にかけて、ハンマー投げの日本選手権において、前人未踏の20連覇を達成しました。20年にわたり日本の頂点に立ち続けたその実績は、陸上競技のどの種目においても破られていません。年齢を重ねても記録が衰えるどころか、進化を続けていたことから、まさに超人でなければ成し得ない記録と言えるでしょう。
2.慣れないやり投で国体2位に!
高校生時代から、すでにハンマー投げを専門としていた室伏広治さん。しかし1992年の国体ではハンマー投げがなかったことから、やむを得ずやり投げで出場することになったのです。
当時のことを知るタレントの照英によると、大会当日に「慣れないから投げ方を教えて」と周囲に尋ねていたのだとか。それにもかかわらず、なんと全国2位という好成績を収めたのには周囲も衝撃を受ける出来事でした。
3.100mはなんと10秒台!
ハンマー投げの選手でありながら、驚異的なスピードの持ち主だという室伏広治の伝説があります。それは、100mを10秒台で走ることです。高校時代には、4×100mリレーの選手としてインターハイに出場しています。また、TV番組でもビーチフラッグで100m金メダリストに圧巻で勝利したのです。
その瞬発力とダッシュ力は、まさに異次元のレベルと言えるでしょう。
4.ボブスレーでも五輪代表候補に
1996年、ボブスレー・リュージュ連盟が行ったトライアウトに参加した室伏広治さん。驚くべきことに、なんと全種目で唯一の満点を叩き出し、1998年長野五輪の日本代表候補に選出されました。ハンマー投げと全く異なる競技でここまで評価されるのは異例中の異例です。しかし、ハンマー投げに専念する道を選び、代表は辞退しています。
どの競技を選んでも成功していたかもしれませんね。
5.始球式で131㎞/hを記録
2005年、横浜スタジアムでの始球式に登場した室伏広治さん。野球経験は一切ないにもかかわらず、なんと131km/hの速球を叩き出しました。また、フォームも独特で手投げのような動作だったにもかかわらずストライクを取ったのです。
観客やプロ野球関係者の度肝を抜いたこの一投は、今も語り継がれる伝説の始球式となっています。
6.立ち幅跳びで世界記録級のジャンプ!
ハンマー投げの練習中、何気なく行った立ち幅跳びで、室伏は非公式ながら3m60cmという驚異の記録をマークしたのです。当時の世界記録は3m47cmだったため、この記録は、それを13cmも上回る数字でした。もちろん正式記録にはならなかったものの、これは世界記録級のジャンプと話題になったのだとか。全身のバネと爆発的な瞬発力がなければ成し得ない記録ですね。
7.スポーツマンNo.1決定戦に出禁?
TBSの人気番組『スポーツマンNo.1決定戦』に複数回出場し、総合優勝を何度も達成した室伏広治さん。その圧倒的なパフォーマンスにより、他の競技者は歯が立たず、番組が競争にならないとまで言われてしまったのだとか。このことから、事実上の出禁となる伝説が生まれました。本人のせいではないにもかかわらず、規格外の強さが故に出禁となった正真正銘の超人エピソードです。
室伏広治の経歴
ここからは、室伏広治さんの経歴について幼少期から現在までを詳しく紹介します。
幼少期
室伏広治さんは、幼少期からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など、さまざまなスポーツを経験しながら育ちました。小学校低学年の頃には、スポーツ少年団で野球を始めようとしましたが、当時は水分補給が禁止されていたことに納得がいかず、すぐに辞めてしまったのだとか。
また、小学3年生から中学2年生までの間アメリカのロサンゼルス近郊に住んでいた室伏広治さんは、ゴルフやテニスを習いながら海外で多様なスポーツ文化に触れています。そのような経験が、身体能力や運動センスに大きく影響を与えたのかもしれません。
学生時代
室伏広治さんは、中学生の頃から本格的に陸上競技に取り組み始めました。高校は成田高等学校へ進学し、そこでハンマー投げを専門種目として練習に励みます。その結果、高校時代には高校最高記録および日本高校新記録を樹立し、インターハイで2連覇を達成するなど、早くからその才能を開花させました。
高校卒業後は中央大学に進学し、大学時代も圧倒的な実力を発揮します。日本学生新記録、日本ジュニア新記録を更新し、全日本インカレでは前人未踏の4連覇を果たしました。
大学卒業後
大学卒業後はスポーツ用品メーカー・ミズノに入社し、プロのアスリートとして競技を続けます。
2000年にはシドニーオリンピックに初出場し、続く2004年アテネオリンピックでは金メダルを獲得。この時は当初3位でしたが、他選手のドーピング違反が発覚したことにより繰り上げで優勝となり、アジア人として初めてハンマー投げで金メダルを獲得するという歴史的快挙を成し遂げました。その後も第一線で活躍し続け、2008年の北京オリンピックにも出場。そして4大会連続出場となる2012年ロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得しています。長年にわたり世界の舞台で戦い続けた室伏さんは、2016年に体力の限界を理由に現役を引退しました。
現役引退後の現在の活動
引退後も、室伏広治さんの活動は止まりません。2020年にはスポーツ庁長官に就任し、行政の立場からスポーツの振興や青少年育成、健康推進に尽力しています。
また、東京科学大学の特命教授も務め、運動機能の科学的評価や指導法の研究にも力を入れているようです。さらに、2025年に開催される世界陸上東京大会に向けたPR活動にも参加し、元アスリートとしての視点から発信を続けています。
他にも、スポーツ用品メーカーアシックスとアドバイザリースタッフ契約を結び、製品開発やジュニア世代の育成にも携わるなど、幅広く活躍中です。
室伏広治の功績
室伏広治さんは、数々の国際大会で輝かしい成績を残してきました。代表的な実績は以下の通りです。
- 2001年:世界陸上エドモントン大会で銀メダルを獲得
- 2004年:アテネオリンピックで金メダルを獲得
- 2011年:世界陸上大邱大会で金メダルを獲得
- 2012年:ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得
特に、2004年アテネ五輪での金メダルは、日本のハンマー投げ史においても歴史的な快挙とされています。
同年、これらの功績が高く評価され、天皇陛下より「学術・芸術上の発明、改良、創作に関して著しい事績を持つ者」に贈られる紫綬褒章が授与されました。スポーツ分野でこの栄誉を受けることは非常に稀であり、室伏さんの存在がいかに特別であるかを物語っていますよね。
まとめ
今回は、超人である室伏広治の伝説について、経歴を紹介しました。伝説と言われるだけあり、数多くの記録やエピソードを残していることが分かりました。また、室伏広治さんは、選手時代だけでなく、引退後も日本のスポーツ界に多大な影響を与え続けています。今後の活躍にも期待したいですね。